言語習得は言語の進化を繰り返す

言語習得は言語の進化を繰り返す

生物の個体発生は系統発生を繰り返す」というのが、ヘッケルの反復説であり人間は、胎児の期間に進化の記録を個体のレベルで再現するというのであります。つまり、個体の発生過程において、その種に至る進化の過程で経験した過去の形、たとえば魚類時代の鰓などを備えている期間があるというものです。

系統進化の歴史を固体が学んでいるという説は社会学的な解釈として意味があるように思えます。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というビスマルクの残した言葉がありますが、進化のプロセスで生き残ったものが賢者とするならば、それは幼い時期に歴史を学んでいるからだという見方もできます。

IT分野でも、個体発生が系統発生を繰り返している例があります。OSの立ち上がりプロセスがそれであるUNIXにしろ、Windowsにしてもブート画面を見ていると、瞬間的に歴史の断片を垣間見ることができます。OSはブートの過程で歴史をフラッシュバックしながら立ち上がっているのです。

巨大なソフトウェアは、それを開発するための高度なソフト開発環境があって初めて実現できわけで、その開発環境はどのような環境で作られたかといえば、当然現在の開発環境よりも古い環境で作られていたはずであります。

これをブートストラップというCコンパイラのソースコードがC言語で書かれているというのは、ブートストラップの典型です。最初のCコンパイラはどのようにして作られたのかと考えはじめると眠れなくなるのですが、それはもっと単純なCコンパイラをC以外の言語で作ったということなのです。これも歴史の一つであります。

歴史が忘れられてしまうと何が起こるか

 

最近の電子機器は、箱を開けて中を見てみると、どれも同じであるような印象を受ける.すなわち、1、2個のASICと液晶パネルとスイッチでできているのです。かつては個別部品で作られていたラジオですら、最近の製品ではソフトウェア化されています。ハードウェアは共通化して量産でコストを下げ、ソフトウェアで機能を作ったほうが、多少装置が複雑になってもトータルのコストが安くなるというのであります。

そこで気になるのは、その共通ハードウェアはいったい誰によって作られるのかということであります。共通にするわけだから、きわめて少数の人間だけがその設計に関われば十分であります。その結果、その人たちの中だけに技術が閉じ込められることになり、世代交代すると技術ごと忘れさられてしまうのではないかと心配になってしまいます。

技術が高度化するにつれて、個々の人間が管理できる範囲は狭まってしまうのはしかたがないと思う.しかし、エンジニアがマクロ的にシステム全体を把握できなければ、でき上がったシステムはなんとも危なっかしいものになってしまうのであります。つい最近、某巨大銀行の合併にともなってオンラインシステムの統合過程で大事故が起こったが、合併する各銀行のシステム開発に関わる歴史的経緯を忘れて無理に統合しようとしたために起こったトラブルなのではないかと思う.